国木田独歩とは、誰でしょう。
独歩は自然主義文学の先駆者であり、日本の近代文学史に名を残す文豪です。
しかし、文豪といういかめしい称号に比べて、彼の作品や生き方が今に放つ光彩はあまりに清新であり、また若々しく自由です。
それは、彼がわずか37歳でこの世を去ったせいでしょうか。
あるいは、独歩というその名前から、独り『武蔵野』の山林や空知川の岸辺を跋渉する青年のイメージが、その作品の淡々たる筆致とあいまって想起されるせいかもしれません。
独歩は、多感なる少年期と文学に目覚めてゆく青年期をここ柳井及び近隣の地で過ごし、幾つかの作品を残しました。
佐川醤油の故郷は、田園の散歩者・国木田独歩の心の故郷でもあるのです。
文学の新しい潮流が、新たなる時代の精神を切り開いて行った明治。
独歩はその時代を独り歩き、そして独り去っていきました。
- 独歩の生誕地は?
- 千葉県銚子市に、1871年(明治4年)に誕生。その後、裁判官をしていた父・専八の岩国転勤に伴い山口県に移りました。柳井に来たのは、19歳の時です。
- 独歩は最初から作家だったの?
- 山口県下の田布施などで私塾を開き、田山花袋の『田舎教師』を地で行く生活を送った後、各地を転々。日清戦争が起こると「国民新聞」の従軍記者として従軍記 を執筆。処女作『源おじ』を文芸誌「文芸倶楽部」に発表して作家としての第一歩を歩み出したのは、1897年、26才のことでした。
- 独歩の私生活は?
- 日清戦争からの帰還後、有島武郎『或る女』のモデルとなった女性・佐々城信子と結婚するものの、翌年には離婚。青年期は、波乱に満ちた生活を送っています。
- 独歩の主な作品は?
- 『忘れ得ぬ人々』、『武蔵野』、『牛肉と馬鈴薯』、『運命』、『欺かざるの記』、『空知川の岸辺』、『河霧』など。柳井を舞台にしたものに、『少年の悲哀』、『置き土産』があります。次々に発表した独歩の作品集は文壇に新気運をもたらしましたが、しかし彼の文学が脚光を浴びたのは晩年になってからのことでした。
独歩は、明治25年二二歳の頃、ここ姫田川沿いに住んでいました。 「少年の悲哀」などの名作は、 この頃を回想した作品です。その旧宅が今も市山医院の邸内に独歩碑とともに残っています。
- 北海道砂川市空知太551 滝川公園内
空知川の岸辺
s.25.9.25 - 北海道赤平市茂尻本町 国道脇 独歩苑内
國木田獨歩曽遊地
s.31.9.26 - 栃木県那須郡塩原町下塩原745 ホテルニューあいず前
「欺かざるの記」より
碑陰なし
東京都渋谷区宇田川町21
明治二十九年國木田獨歩は愛妻信子に去られた悲しみを抱いて・・・
s.43.4.12 - 東京都武蔵野市関前5丁目 桜橋畔
「武蔵野」より
s.32.10.20 - 神奈川県川崎市高津区溝口641 亀屋前
國木田獨歩にさゝぐ
s.9.6.23 - 神奈川県足柄下郡湯河原町 温泉場万葉公園
湯ヶ原の渓谷に向った時はさながら雲深く分け入る思があった
s.11.初夏 - 山口県熊毛郡田布施町別府
なつかしきわが故郷は何處ぞや彼處にわれは山林の児なりき・・・
s.26.文化の日 - 山口県柳井市柳井姫田3114 市山病院裏庭
獨歩之碑
s.45.5. - 山口県柳井市柳井宮本1885 藤坂屋本店前
置土産
s.43.4. - 大分県佐伯市大手区 城山
獨歩碑
s.31.6.23.再建 - 大分県佐伯市青山区黒沢
「欺かざるの記」より
- 北海道歌志内市本町 歌志内公園内
山林に自由存すわれこの句を吟じて血のわくを覚ゆ
1957.9. - 茨城県ひたちなか市殿山町1丁目 海岸道路脇
挙げて永劫の海に落ちゆく世々代々の人生の流の一支流が僕の前に・・・
s.55.3. - 千葉県銚子市黒生町丘上
「山林に自由存す」より
碑陰なし - 東京都武蔵野市中町1丁目 JR三鷹駅北口
山林に自由存す
s.26.3. - 神奈川県逗子市桜山8-10 柳屋跡
蘆花獨歩ゆかりの地
碑陰なし - 神奈川県茅ヶ崎市中海岸
「渚」
s.35.6. - 山口県山口市春日町 亀山公園内
山林に自由存す
s.28.春 - 山口県熊毛郡平生町田布呂木
歸去来の田布呂木峠 - 山口県柳井市東後地3142 光台寺門前
國木田独歩曽遊の地 s.26.2. - 山口県岩国市横山2 吉香公園内
岩国の時代を回顧すれば恍として更らに夢の心地す
s.48.9.9. - 大分県佐伯市大手区 79-1
「城山」
s.50.2.22. - 熊本県阿蘇郡一宮町宮地 阿蘇仙酔峡 大阿蘇病院駐車場
國木田獨歩文学碑